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- 作者: 森見登美彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/06/26
- メディア: 文庫
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祇園祭宵山の京都。熱気あふれる祭りの夜には、現実と妖しの世界が入り乱れ、気をつけないと「大切な人」を失ってしまう…。幼い姉妹、ヘタレ大学生達、怪しげな骨董屋、失踪事件に巻き込まれた過去をもつ叔父と姪。様々な事情と思惑を抱え、人々は宵山へと迷い込んでいくが…!? くるくるとまわり続けるこの夜を抜け出すことは、できるのか。
「ハレ」の日は忘れられない特別な一日。況や京の都における祇園祭の宵山の夜をや。しかし「ハレ」は非日常の入口でもある。アチラとコチラの世界が繋がる日。本書では従来のコミカルな森見テイストも用意されているが、それよりも祭りの熱気と世界を隔てた独りぼっちの寂しさや悲しさに溢れた雰囲気に包まれていた。宵山の夜、世界の輪郭が淡くなる堤燈の光を、この世界の危うさを、類まれなる想像力による幻想的な光景を読者の前に映す。
本書では私たち読者こそ神様「宵山様」の視点を与えられている。同じ日に、同じ街を駆け巡る6人の人間を一気に俯瞰できる存在になる。部分は全体になり、一つの大きな祭りが出現する。そこにいるのは騙す者・騙される者、もう一度会えた人、もう二度と会えない人。喜怒哀楽の全てを閉じ込め祭りの夜は続いていく。
しかし6編ある短編は2つで1組、A面とB面を構成しており、重複部分を考えると内容が半分とはいわないが、2/3ぐらいに圧縮されてしまうのが残念。好みの問題もあるが「偽祇園祭」編ぐらい視点や内容が違えば良かったのに。
本書を読むと祇園祭が得体の知れない怖いものになる。勿論、「裏」祇園祭と理解しているが、表裏は一体で、いつ裏世界が顔を出すか戦々恐々している。祇園祭を主題にしながら宣伝効果は一切ない。それどころか読者の足は確実に遠のく…!? もしかして遠方からの観光客による祇園祭の混雑を忌避する森見先生の迂遠な混雑解消法だったりしたら「偽祇園祭」より性質が悪い。
- 「宵山姉妹」…あらすじ参照。姉妹A面。内気で想像力豊かだから人にも道を聞けない負の連鎖。警察官を見つけても負い目を感じ、独りで彷徨い続けてしまう迷子の心理学。本当に祭りの中で迷子になって帰って来ない子は居るのだろうかと考えたらもう、祇園祭が怖くなった。京都は怖いトコどすえ〜。
- 「宵山金魚」…あらすじ参照。偽祇園祭A面。主人公も読者も困惑の連続。でも確かに伝統ある祭りは一見さんお断りのお店と同じように敷居が高く、緊張しちゃう。度肝を抜かれる奇怪な光景の数々は果たして森見さんの想像力の賜物か、それとも彼女のお陰か…。最後の一文が見事。これを言いたかったのね。
- 「宵山劇場」…あらすじ参照。偽祇園祭B面。なるほど『人の好い馬鹿』はこうしてハレ舞台の主役に祭り上げられたのか(笑)、の種明かし前日譚。または人の手で怪異は創作可能というアンチホラー(?)。偽とはいえ祭りの準備の苦労や人間関係の対立、けれどそれらは達成感によって浄化効用が良く分かった。
- 「宵山回廊」…あらすじ参照。SFのA面。現実的な解釈をすれば叔父の心が壊れかけてるという診断が下せるが、B面の補足説明によってそれは否定される。この従姉妹の運命が冒頭の姉妹のもう一つの結末。考えれば考えるほど悲しい。1&6編目が陽のA面で、この4&5編目が陰のB面という見方も出来る。
- 「宵山迷宮」…あらすじ参照。SFのB面。ハルヒ的エンドレスセブン。森見さんはSF作家的要素も併せ持ってますよね。4編目のラストに追加された2行の謎解きが良い。また小道具の使い方も印象的。しかし乙川さんの存在がどんどん不気味に…。「超金魚」ならぬ「超人間」の領域に踏み込んでいるのかしら。
- 「宵山万華鏡」…あらすじ参照。姉妹B面。最後に初めて語られる姉側の視点によって見事に輪廻が完成。A面があるから既知の結果だが、この結末で作品全体に救いが訪れ、また前2編の読書体験から増幅する間一髪の恐怖に慄く。好奇心旺盛な姉の長所が見え、彼女の行動力がなければ妹とは二度と手を繋げなかった。幻想的な描写が冴えている。宵山から抜け出して物語は終わる。