沼地のある森を抜けて (新潮文庫)

沼地のある森を抜けて (新潮文庫)

はじまりは、「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ…。「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで何が起きたのか。濃厚な緑の気息。厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。久美が感じた命の秘密とは。光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。


これまた、変てこな話だ。主人公・久美が叔母から譲り受けた「ぬかどこ」がうめき、卵を産み、人が孵り始める! これまでもファンタジー要素の強かった梨木作品だが、今回はかなり怖い。更には久美の亡き両親・叔母など親族には不審死が多くて…。なんだなんだ、今回はミステリ要素も含まれているの!?と驚いていたら、物語は序盤では予想だにしていなかった場所まで私を運んだ。この小説は『連綿と続く命の繋がり』まで、その胎内に宿していたのだ。
以前にも書いたが、梨木作品内での象徴的な場所は、ある一つの限定された場所が多い。「庭」「家」「水槽」、はたまた「織物」であった。そして今回は何と「ぬかどこ」である。しかし、これまでの梨木作品同様にその限定された不思議な場所から現実世界全体が投影されていくのだった…。
内容に即して言うならば、本書はファンタジー世界という膜に覆われた小説だ。しかし、その核には紛れもない現実や社会、生命といった根源情報が書き込まれている。主人公と同化して不思議な現象に戸惑い、ようやく世界に親和したと思ったら、唐突に現実世界の真の姿が目前に現れる。この巧みな構成による不意の一撃が梨木作品を読む楽しみでもある。ただし、これまでよりもテーマが更に深化している一方で、少々学問的にも哲学的にも難解になり、私には理解の及ばない部分が出てきてしまったのが残念。それでもスケールの大きさ、途方もない時間と果てしない命の連鎖、自分という存在まで溜息が出るぐらいに考えさせられた。その場所まで思考を飛ばす本書はやっぱり他に類を見ない出色の小説。
ファンタジー部分以外の現実面では、独り生きる久美と、男性性を捨てて無性であろうとする風野さんの人生観や恋愛観に考えを刺激された。一人でも過不足なく生きられる現代社会で久美も抱える現代の、これまで以上に自意識で頭でっかちになった恋愛・結婚・生殖という問題。人間の生物の本能が益々薄れていくこの時代。前半のそういう2人の生き方を描く事で、本書は少子化や未婚という選択の現代社会の問題まで言及しているように思えた。
私は久美と幼なじみのフリオと卵から孵った「光彦」の奇妙な関係を描いた1章だけでも大満足だった。これがずっと続いてくれと願ったぐらいに。フリオの告白がまた衝撃的だった。彼こそが誰よりも自己存在に悩むものである。出発点から思えば遠くまで来たもんだが、決して無駄のない壮大な小説。
途中に3度挿入される「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」は後半の難しい議論よりも抽象的過ぎて理解不能に。ファンタジーっぽい雰囲気であるが何がなにやら。ずっとこれは本文中のどの部分の寓話なのかを懸命に考えていただけ。この話で連想したのは『かもめのジョナサン』。集団行動から脱却し新たな地平を目指す、という点が共通していると思った。

沼地のある森を抜けてぬまちのあるもりをぬけて   読了日:2010年01月17日