ヘタレな男に好意的な私でも、長編で長く付き合っているとイラっときたよ☆

月夜の晩に火事がいて (創元推理文庫)

月夜の晩に火事がいて (創元推理文庫)

東京で私立探偵をしているぼくはある日、幼馴染みの依頼を受けて久し振りに懐かしい故郷を訪れる。地元一の旧家、木兵衛屋敷の当主のところに不吉な手紙が届いたというのだ。ぼくが着くやいなや、「月夜の晩に火事がいて」というわらべ歌どおりに屋敷から出火し、当主が顔を潰され、先代の息子までもが胸を刺されて死んでいるのを発見される! 直木賞作家初の本格長編ミステリ。


直木賞を受賞した作品などは未読のまま、芦原さんのミステリ作家としての一面だけを追い続けている私。本書は著者初の長編ミステリで、著者と、そして大好きな「台所探偵シリーズ」の今は東京の郊外で暮らす「ぼく」の生まれ故郷を舞台としている(はず)。冒頭、東京で私立探偵をしている主人公・山浦歩が地元の幼馴染の依頼を受けて生まれ育った故郷に帰るのだが、故郷の描写に筆の迷いや硬さは全く感じられなかった。よく地方を舞台にした小説では、著者は作者をその町に引き込まなければならないのに、肩に力が入った描写がかえって小説から浮いている事があるが、本書の場合にはその心配はない。そこで交わされる方言はなぜか読者の私の耳にも心地よく感じられ、またその方言が一風変わった登場人物たち(多くは女性)のキャラクタを許容していたように思う。そして本書でも感じたのは、著者の食べ物の描写の上手さ。本書の中で結構な割合で心神が耗弱している主人公が、物を食べられる気分ではないと言っていたのにも関わらず、スルスルと胃に収められていく料理の数々のように、自分が満腹/空腹に関わらず、胃が確実に刺激される描写なのだ。所謂「別腹」は、好物を前にすると胃が本当に蠕動して胃にスペースを作る一連の動きらしいが、芦原さんの料理描写には同じ効果があると思われる。物を食べる喜びやありがたさに満ちているのだ。
さて、本題のミステリとしての評価はどうかというと…、長いの一言である。文庫版で500ページ強という分量はわたくしには勿体のない長さでございまして。それはつまりは冗長ということでしょうか。はい、そうとらえて頂いても結構です。と、独特の会話術を駆使する登場人物のイミコさんの下手な物真似を借りて口にしてみましたが、小説としてはともかく、ミステリとしては冗長さを感じる作品でした。前半で感じた魅力の数々が、後半になって欠点に変わっていくように感じられてしまい残念だった。本格ミステリの書き手にはない芦原さんならではの作品になっているのは間違いがない。安穏なのか剣呑なのか分からない不安定な精神状態の主人公、土着の人々ならではの大らかさと息苦しさの混在、まず本書でしかお目にかかれないだろうズレた登場人物たち、そして不吉な手紙と、早い段階から起こる土地に伝わるわらべ歌通りの事件展開などなど、前半には数多くの素敵な予感があった。しかし残念なことに、物語の楽しさの最高地点はそこにあり、物語はその落下エネルギーだけで進んでいった。上述の素敵な予感はいつしか抵抗力に変わり、読みづらさの一因となっていく。特に後半でそれまで物語を牽引してくれていた人物の退場があってからはそれが顕著になり、探偵が真相を述べている最中にも関わらず他の煩悩(眠気・娯楽)に頭を乗っ取られてしまった。自分の興味が失われていく様子が手に取るように分かってしまい、作品や謎そのものの求心力の弱さが目立った。
どうしてもミステリとしての弱さが気になる作品だった。例えば謎そのもの。わらべ歌どおりの殺人という事件の内容はミステリ心をくすぐり、無邪気の中に残酷さがあり、背筋を寒くするものの、そこに密室殺人とか不可能犯罪といったトリック、すなわち真相披露での驚きを予感させるものはなかった。また主人公の気質による問題で本来ならミステリを読む上での楽しみになるはずの推理・解決部分においても楽しさを感じられなかった。主人公は、5年前に彼に隠れて不倫をしていた妻が事故死してからというもの、予知に目覚めたり、頭の中で亡き妻と電話で会話したりと、精神構造が変化していっている不安定な人物で、最初こそ、芦原作品らしい意志薄弱な人物と好意を持っていた。その精神問題が事件の解決を通じて解消していくという、ありがちだが私にも分かりやすい展開なら良かったのだが、彼はその特殊な能力を謎解きに使ってしまった。それによって事件が彼の脳内で処理されてしまい事件が矮小化され、更に読者に置いてけぼりをくっている感じを与えたように思う。もちろん彼の探偵行為によって得られた情報を、複雑な彼の精神状態が自問自答をしているという事なのだろうが、知性は関係のない霊的なお告げによる解決とも思えてしまうのだ。主人公の探偵行為を快く思わない地元の警官との紆余曲折、上述のイミコさんとの込み入った会話などなどの回り道を経たのにミステリを読む喜び・カタルシスが少なすぎた。本書の事件においては不必要なのも理解した上でだが、500ページの長編ならば第二の事件を用意しても良かったのではないか。展開の起伏のなさによって冗長さが際立ってしまい残念だ。

月夜の晩に火事がいてつきよのばんにかじがいて   読了日:2013年07月21日

あなたはいつも 泣いてるように笑ってた。その笑顔を向ける相手がいつも私でありますように(翠)

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)

同級生の謎めいた言葉に翻弄され、担任教師の不可解な態度に胸を痛める翠は、憂いを抱いて清海の森を訪れる。さわやかな風が渡るここには、心の機微を自然のままに見て取る森の護り人が住んでいる。一連の話を材料にその人が丁寧に織りあげた物語を聞いていると、頭上の黒雲にくっきり切れ目が入ったように感じられた。その向こうには、哀しくなるほど美しい青空が覗いていた…。


名は体を表す、ではないが、本の表紙は内容を表す。まぁ、出版社や装丁家がそうなるよう考案しているのだから当たり前といえば当たり前なのだが、本書とその前に読んだ同じ著者・光原百合さんの作品で同じ創元推理文庫『遠い約束』の表紙とその内容の違いを鑑みて、表紙の重要性を改めて考えさせられた。『遠い』では少女漫画家の野間美由紀さんのイラストが使われていたが、本書は水彩画家のおおた慶文さんの作品だ。その違いが内容の違いにもなっている。『遠い』は女子大学生、本書は女子高校生が主人公なのだが、どちらが毎日、些細な出来事にも胸をときめかせている「少女漫画ミステリ」かといえば意外にも前者であり、後者は恋に恋しているお年頃ではあるものの、どこか落ち着いて明日を見つめているように思った。そう、ちょうど表紙の少女のように…。
東京から家族で引っ越してきた主人公の高校生・翠は、この土地の森の深さに、そしてレンジャー(自然解説指導員)の護さんに魅了される。年上の男性に恋をする、というのは少女漫画の王道パターンみたいだけれど、翠と護の間にあるのは恋というより互いを思う慈しみの心だろうか。その関係性も人よりも大きな存在の自然を感じられる舞台の雰囲気に合っている。
「あらすじ」やここまでの感想文では、自然の中に生きる人の紡ぐミステリということで「日常の謎」の系譜に通ずる作品かと思われるかもしれないが、本書収録の3つの作品にはそれぞれに近しい人の死がある。それは悪意による死ではないが、各人に不意に訪れた死であり、その死の中に後悔が生まれるものであった。もう問いただせない事、言えなかった言葉など悲嘆にくれ非日常の世界に入り込みそうな人たちを、探偵役の護さんは、その慈しむ力を持って各人を日々の暮らしに戻していく力を取り戻させる。いなくなってしまった人々と、明日も生きていく自分。この悲しいコントラストと、それを包み込む力を持つ大きな、そして美しい自然の描写に深く息を吐き出す自分がいた。
表紙もそうだが、書名も大好き。護さんの浮世離れしているようで、地に足の着いた、自分の五感を信じる生き方の象徴のようである。

  • 「第一話」…校内の一室で「アタシガ、コロシタ」と独白する生徒と、その生徒の頬を叩いた担任教師。彼らの間に何があったのか…。ミステリとしては決して魅惑的な謎が創出できているとは言えない。けれどこの1つの事件において、主人公の翠や探偵役の護さん、そして学校の同級生たちの関係性を描き上げているという点で密度の濃い短編である。また自分の知り得た事をどうやって人に披露するのか、その手順や言葉の選び方にこそ探偵役の人となりが表れるが、護さんは絡み付いて解けなくなった糸を紐解くだけでなく、それを自然に編み上げて新しい明日に向かっていく力に変えていた。
  • 「第二話」…婚約中の女性が一人旅の最中に事故で亡くなる。相手の男性は女性の旅の行先と携行していた1枚の写真に彼女の本心が分からなくなり苦しむ…。120ページ余の中編。全体に悲嘆にくれた沈鬱な物語ではあるが、舞台のシーク協会のレンジャーで大阪弁を操る女性・こずえさんの存在によって明るさと動きが生まれている。主となる謎とは別に、本編でもこずえさん親子の軋轢が描かれている。婚約者たちの問題は方向性としては予想内の答えだったが、それを導き出す小道具の使い方がとても好きだった。婚約者同士なのに気持ちを言葉に出す事の出来なかった不思議な関係の2人の言葉より雄弁な物が残されていたこと。それが2人の関係の証拠となり救いになる。私は読書中、彼女の部屋にある文庫本が謎の解決に関係するかと思ったが、どうも本読みの深読みの誤読だったようだ…。
  • 「第三話」…冬場に行われるシーク主催のキャンプに参加した女性が、この夏、拒食症を発症した。彼女の心に何があったのか、キャンプを回想し手掛かりを探すが…。正直に言うと、このキャンプの内容は自意識のお化けの私は参加するのが恥ずかしく全く惹かれないんだけれど(笑)、集団生活をして交流を深めて、更には物語を作っていく中で、その人の心に秘めた事を推理していくという手法には惹かれた。本編でも、とある関係性がテーマになっており、それは本書で一番重く、扱いの難しい問題であった。護さんは心理カウンセラーのようでいて、やはり優れたレンジャーであり、全ての生物が持つ生きるための力を、回復力を信じ、不要な手出しはしていない。護さんの笑い方が目に浮かぶような小説で、私も翠と同じく、その笑顔はとても魅力的に思えた。マッサージと称して護さんの身体のラインを調べる翠はスケベ親父である。

時計を忘れて森へいこうとけいをわすれてもりへいこう   読了日:2013年06月02日

真実の親友なのか信用できぬこの友情。心配な心中の真相を審判する勇気。

音信も絶え、生死のほどさえ分からなかった親友に、こんな大都会の片すみで、こうしてバッタリ座席を横取りされようとは…。会社帰りの電車内で邂逅した二人。過去の因縁浅からず、なにゆえ親友になったやら、お互い首を傾けつつ付き合いを再開する。双方が伴侶を得ても物語は終わらず、頭数の倍加によって情勢は複雑に。たかが親友、されど親友。嗚呼、腐れ縁はどこまでも。


創元推理文庫天藤真推理小説全集は本書12冊目から最終刊17冊目は短編集となっている、みたいだ。そして短編集第1巻である本書は天藤作品の中でも最初期のデビューのきっかけとなった作品などが収録されている。と、ファンにはありがたいコンプリート全集なのだが、本書の予備知識もなく、それでいて長編は1作を残し読了済みの私には、頭の中の天藤作品のイメージとのギャップに悩まされた短編集でもありました。
またもミステリ作家の「トリック派」「プロット派」のお話になりますが、天藤さんは断然「プロット派」であり、天性の愛されるキャラクタ作りの才能の持ち主だと思っていましたが、本書では「トリック派」の作品が多いように思う。デビューにあたって、特に投稿していた雑誌「宝石」の「宝石賞」を受賞するために選考委員の選評・賞の性質などを勘案して、トリック重視の作品を多く書いていたのだと思われる。ミステリ的にはなかなかに凝った作品も多いのだが、どうにも登場人物たちの造詣を中心に「らしくなさ」ばかりに目が奪われてしまった。またトリック重視だとやはり発表年月の時代性、もっと言えば古くくささが際立っていた。そういった作風の変遷や獲得を見られるのもコンプリート全集ならではなんですけれどね。
それでも本書の中でも、これぞ天藤作品というものもあり、その天性の才能を存分に発揮している作品もあった。「なんとなんと」の不器用な男女の機微も好きだけど、中でも掉尾の短編「誓いの週末」は天藤作品では珍しいジュブナイル作品で、中学生の彼らに向けられる優しい視線は天藤さんの生真面目で温かい筆致にとても合致していた。

  • 「親友記」…表題作。あらすじ参照。止まっていた時間が、遠く離れた大都会の電車の座席の横取りから動き出す、という魅力的な始まりに、なんだか奇妙な方向に進んでいく2人の人生。そして生まれる憎悪と殺意、…と書くと沈鬱な物語のようだが、どうにも陽気な、そして客観的に見ればどんぐりの背比べ、似たもの同士の同属嫌悪としか思えず滑稽な印象を残す。君たちは間違いなく親友だよ。
  • 「塔の家の三人の女」…千里眼の透視術で予知された死。その真偽を検証するために現場に向かう心理学者たち…。金持ちが道楽で建てた変な構造の塔が舞台の天藤版「館モノ」。占いとの対決にどんなトリックがあるのかと思いきや、その点はとても尻すぼみな結末だった。ミステリとしては奇妙な縁で結ばれた3人の女性の容疑者候補たちと、舞台装置を上手く使った本格ミステリである。やはり初期の頃から登場人物たちのキャラクタはおかしみが溢れている。
  • 「なんとなんと」…熱にうなされた未亡人がうわ言の様に言う言葉の意味を医師は考えるのだが…。初出の雑誌「エロチック・ミステリー」という名前から言えば本編は『殺しへの招待』で紹介した「白天藤」「エロ天藤」という分類では「エロ」なのか。でもいやらしさのない幸福な作品。でも私、誤読して医師が未亡人に手をかけたかと思った…(苦笑)
  • 「犯罪講師」…「私が犯罪師Xである」と誘拐犯罪をテーマに聴衆に滔々と講義する男…。誘拐犯罪の描写は否が応でも緊張して手に汗握りながら読み進める。すると序盤から感じる奇妙な違和が最後に上手いオチが付けられて、更に痺れる最後の一文へと続くのが見事。面白い講義でした。
  • 「鷹と鳶」…お互いの長所と短所を補い合い事業を拡大した2人の男。しかし社長の座と、経営参加した1人の女性を巡る争いが始まり…。1編目の「親友記」のテーマをより先鋭化させた作品。より陰鬱でより憎悪に溢れている。その点では天藤作品らしくはない。計画犯罪に計画犯罪が合わさる最後の1ページは鳥肌が立つほどに怖い光景だった。良くも悪くも男のプライドを刺激するのは女性なのだろう。
  • 「夫婦悪日」…夫の不審な行動に気を揉む妻は、家捜しをして一通の手紙を見つけ出すが…。本編も「エロチック・ミステリー」が初出。だけどこれもいやらしくない。序盤だけ読むと妻と夫の立場が逆じゃない?と疑問が浮かぶが、なるほどこういう効能があるのか。知能犯である。そして同じ計画犯罪でも結果がまるで違うと、前の「鷹と鳶」との落差にも驚かされる。
  • 「穴物語」…結婚資金獲得のために、隣の酔客が今なら大金が確実に置いてあると言っていた家に強盗に入った太一だったが…。本書では犯罪を企てる側の話が多く、すると自然に利己的な人物が多くなる。それは本来、犯罪の中にもユーモアセンスの光る人物たちが多かった既読の長編とは趣が違うので、作風の違いに戸惑う。ミステリ的にはどんでん返しがあり、それでいて大団円なのだが、果たしてこのカップルはこれでいいのか?
  • 「声は死と共に」…アリバイを工作して臨んだ強盗殺人だったが、思わぬ所から綻びが見つかりそして…。前作「穴物語」と同じく短絡的な思考からの犯罪であり、天藤作品らしからぬ残忍さだけが突出した人物である。「声」に関する何重にも巡らされた追い込み方は上手いとは思うが、この不快感にも絶叫したくなる。
  • 「誓いの週末」…子供が学校で怪我をしたと騙し、親に家を空けさせて金銭を盗むという事件が発生。身体的特徴と貧しい家庭の子という推論で一人の少年が疑われるが…。本編は巻き込まれ型の犯罪であり、友情や正義感から調査に乗り出す、という姿勢が本来の天藤作品らしい。また登場人物たちもユニークで特徴があり一人一人の顔が浮かんでくるようだった。親からすれば悪質極まりない犯罪だが、その裏に子供たちの心の葛藤があるから、事件の解決に皆が苦しみから解放された終わったいう安心感がある。

親友記しんゆうき   読了日:2013年06月20日